2008年03月01日

ソフトウェアの自由と社会の自由

2月27日(水)のKDR#10の後にお茶しながら話していたことが刺激になったのでもう少し考えてみる。

なんでDebian Projectの人たちはあれほどソフトウェアの自由には熱狂するのに、それ以外の自由にはそれほど興味がないようにみえるのか?という私の疑問が出発点。

私は社会の自由に注意を払っていなければソフトウェアの自由も担保できないだろうと考えている。
一番の基盤になるのは言論の自由だし、インターネットの公開性も基盤になる。それらが大きく損なわれれば生活に大きな影響は与えることは必至。ソフトウェアの自由も無傷でいられない。
だから言論の自由や社会の自由を脅かされないように社会にコミットすうるのは自然なことだという立場。

それに対して、社会に影響を与えるのは大変だから自分のポータビリティを確保すべきで、いざとなれば海外へいけばよいという反論を聞いた。
また、社会を変えることは大変なことであり、自分ではできないことだから他人に期待することではないか?という話もあった。

確かにポータビリティを確保して自衛することは極めて大事だと思う。
その一方で、社会に影響力を及ぼそうとする活動は不要だとは思えない。
社会を自分の望む形にするのは極めて困難だけど、たいていの場合そんな大それたことをする必要はない。ほんの少しだけ自由な社会になるよう影響力を与えれば十分なわけだから。
言論の自由は主義主張というよりは、主義主張を公平に戦わせるための基盤なわけだから、どんな主義主張の人でも反対する理由がない。
言論の自由そのものに反対する主張の人を除けば。

ただ多数派に立ったときに、言論の自由を無視しようとする人たちは少なからずいる。だけど、どんな人でもすべての問題で多数派になることはない。まったく考えることをやめて多数派に迎合するだけの人生を歩んでいなければ。

自由に対する脅威になりそうな事象に注意を払って、経済活動や投票活動などをしておけば、一つ一つは小さくてもボディーブローのように利いてくる。普段からやっておけばがんばらなければならないという局面は滅多にないように思える。

それに海外へ逃げ出しても、そこで自由が保証されるわけではない。
その場所で自由を守るためには誰かコミットしているからこそ、自由な社会が存在するということを見落としてはいけないと思う。
自分では社会的にコミットせずに移動だけする人は、勝ち取られた自由にただ乗りしているのではないかなぁ。
もちろん、ただ乗りすることが悪いというわけではないけど、他人の活動に依存しているので不確定要素が多すぎる。

会社を移動できるようにしていることと国を移動できるようにするということは同じで、帰属意識が違うだけという話も聞いた。

さすがにそれは違うだろうと思う。
まず、会社員の場合は会社の経営方針に一切の権利を保有していない。
でも国民は選挙を通じて、政策をコントロールする権利を持っている。たしかにいまの選挙の仕組みでは十分に反映されているとはいえないけど、権利としてあるのとないのでは天と地ほど意味合いが違う。

次に、国家は国民を保護する義務をおっているし、そのために国民に対して強制力を行使することが出来る場合もある。
それに対して会社は社員に対しては強制力はないし義務もない。あくまで金銭と労働の契約関係にすぎない。

まあ、法律論に関しては素人なので間違っているかもしれないけど、実際に持ち出せる物の大きさや影響力はまったく違う。
それに会社は世の中に星の数ほどあるけど、国の数は200ほどしかない上に現状で自由じゃない国が結構あるので選択の余地ってあまりなかったりする。

ということでソフトウェアの世界のタコツボにこもらずに社会の自由に注意を払おうよ。


書かなきゃと思いつつ放置していたので議論を忘れかけている。
おかしいなあ、もっと強力な反論を受けたような気がするのだけど。


posted by 端っこなひと at 00:35| Comment(2) | TrackBack(0) | オープンソース・自由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月18日

オープンソースにどこがお金をだすのか

yamagataさんのブログにリンクされていた、@IT「デベロッパーズ・サミット2008・すばらしいソフトを作るには、カリスマが講演」を読んでみた。

別に1位と2位であげられているものに差がないのなら、安い方がコストパフォーマンスがよいなあと思うけど。
UIがダメだとストレスを感じると言う話には賛成。文句をいうならコードで示せって言われそうだけど。
「感情を考慮する」話は、情報セキュリティの世界では"安全"と"安心"は違うという話があるが、それに近いのかな?

切り口は面白いけど、記事ではしょられているのか言っている意味が掴みにくかったので、日本語に翻訳された昔のブログを探して読んでみた。
Joel on Software「ストラテジーレターV」

2002年の記事だけど結構参考になる。
「スマートな企業は彼らの製品の補完財をコモディティ化しようとする。」
という話でIBMなどがオープンソースを支援する理由が述べられている。
特に目新しい話ではないけど、オープンソースのデスクトップはどこが支援するだろうか?と普段考えていたので参考になった。

よく考えたら、デスクトップなんだからPCメーカーに決まっているやん。
DellやHP。日本で言えばNECや富士通ということなんだろうな。
うーん、まだ難しい気がする。まずは携帯から攻めるかなあ。

私はLinuxデスクトップが主流になるのは時間の問題だろうと思っている。(5年〜10年はかかるだろうけど)
ハードウェアベンダやサービス業者も相乗りできるので進化のスピードが尋常ではないし、ライセンスの問題がシンプルなので大量のマシンへの展開コストや管理コストが劇的に少ない。
なので、"ハードウェアがソフトウェアをコモディティ化するのはきわめて難しい"、移行に教育コストがかかる、という点を裏返せば、Windowsデスクトップへの教育・投資は無駄になってしまうかもしれない。
本当にそうなるかはわからないけど、その危険性は無視できない時代になってきた。
それが2002年と今の違いなのかな。
posted by 端っこなひと at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | オープンソース・自由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月08日

RFC3271「インターネットはみんなのもの」

先週インターネット崩壊論者の日記を見かけたので、いくつかエントリーを読んだ。

メルクマールとしての帯広」「インターネット再考」あたりをみると、tssさんはロマンチストなんだとわかって、なんとなく納得。
TIC・第13回オープンソースソフトウェアセミナーでお話を聞いたことはあったけど、janogのMLでは説明抜きの悲観論しかおっしゃらないので、何を考えられているのかわからなかった。

インターネットユーザって誰というエントリーで崎山伸夫のBlog「MIAU設立: インターネットを(未来の)みんなのものにするために」へリンクがはってあった。

そこで崎山さんが紹介されていたRFC3271のことは知らなかったのだけど、とてもいいなと思う。
「誰にでも公平で自由なインフラをみんなで作る」という話は、私がもっている「本来のインターネット」のイメージとかなり近かった。
その一方で、ここ最近はインターネットの自由は失われつつあると感じる。

MIAUはそれに対して「著作権など知的財産権の保護と表現の自由や通信の秘密の衝突」を扱うところらしい。

だとしたらMIAUの活動領域はとても大事な部分だと思う。
MIAUの場合はメンバーのキャラが強烈すぎということもあるけど、問題提起するのが役割だとすると悪くない。そこにコミットしたいかというと微妙だけど。

個人的には日本版・電子フロンティア財団が必要だと思っている。EFFはちょっと過激だと思うこともあるけど、方向性としては間違ってない。
司法的・資金的なバックボーンを持って自由のために戦えるコミュニティが必要。
MIAUはその方向とは違って議論をするという場なのかな?と感じている。

私自身は今のところそこにコミットするのは難しいので、オープンソースの方からアプローチしていければと思う。
といいつつ全然やる気ないなあ。
posted by 端っこなひと at 04:01| Comment(0) | TrackBack(0) | オープンソース・自由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする